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情けは人の為ならず

こんばんはぁ
明日は明日の風が吹くぅの水先案内人shineです✨
働く夫人だった母
退職する前は二交代制で
遅番の時は夜10時を過ぎて帰宅してた
せっせと動く母だった
みんなのお世話をする母だった
二十歳の頃
私が両膝の手術をして
ひと月入院した時も
毎日せっせと通ってくれた
手術した日の夜は
足が痛くて寝返りもできず
腰の悪い私は
我慢できないくらい腰を病んだ
母は
寝ている私の腰に両手を入れて
寝ずに朝までさすってくれてた…
私が結婚して
子供を出産する時も
二人目の子を出産する時も
毎日毎日通ってくれた
伯母や叔父が入院した時も
せっせと病院に通ってお世話をしてた
そして父が病に倒れた時も
毎日毎日
バスで病院に通っていた
母が若い頃は
自分の両親のお世話をしていた
祖母が亡くなった後
三女である母が
祖父を引き取って
一緒に暮らしたこともあった
明治生まれの厳格な祖父が
母が仕事で遅く帰ってきた時に
友達と飲んで騒いでる父の友達に向かって
「娘が仕事で疲れて帰ってきてるのに、いつまで飲んでるさっさと帰れ」と喝を入れたという
父は
「ここは、俺と玲子の城だ❗️」
と言い放ったらしい
そんなことはあったけど
祖父が老人ホームへ入居した後
ある日手紙が届いた
その手紙を見せてもらったが
ずいぶん昔で文面は定かでないが
祖父が
粗相をしてしまった時
黙って下を拭いてくれたり
後始末をしてくれたことに
感謝を述べると同時に
父の人間性の豊かさを
讃えていた内容だったと
記憶している
両親共に
人のお世話を
無償でしていたことに
わたしは尊敬の念を抱いている
話は少しずれたけど
母は
なんだか人のお世話をする
そんな人生だったのかなって
今 思う
父と母が
私たち兄妹が生まれる前
少し世話をした子がいる
先日熊本でお世話になった従兄弟だ
三人兄弟の真ん中の従兄弟は
ある事情で
親元を離れた
「なぜ俺だったんだろう」
そんな思いがずっとあったと
先日初めて聞いた
そして
おばちゃんとおじちゃん (わたしの父母)
には本当にお世話になった…
といつも両親を気にかけてくれていた
今年の5月母が亡くなり
葬儀には間に合わなかったけど
お墓参りに駆けつけてくれた
何年ぶりに会ったんだろう
私が体調を崩したことを聞いて
今にも死んでしまうかのように
めちゃめちゃ心配して爆笑
<まぁ確かに重大ではあったけど…>
雄大な阿蘇を見せたいとの思いを受け
この度
ご招待頂いて行ってきた照れ
そう
茨城にいた従兄弟は
いつの間に
熊本に移住していた
心根の優しい
従兄弟もまた
人のお世話をする人だ
そんな訳で
わたしが六年か七年前に
夢に見た天岩戸神社に
行けるタイミングを従兄弟から頂いたラブラブ
洞窟に鳥居⛩のある夢を見て
それがどこかもわからず
ネットで調べたら
天岩戸神社だった
写真を見た時
鳥肌がたった
夢そのものだったから…
夢では
鳥居の間にお賽銭箱があって
その上に蛇が乗っていて
お賽銭をあげることができなかった
ある霊能者さんに伺ったら
今年はまだ来ちゃダメだと
翌年の立春過ぎたら行っても良い
と言われて
それから気を逃して行けてなかった
今月
絶妙なタイミングで
素晴らしいお計らいのもと
わたしは念願の九州へと飛び立った
情けは人の為ならず
母がかけた情けが
巡り巡って
わたしに帰ってきた
母を想う時
この言葉がいつも頭に浮かぶ
<情けは人の為ならず>
そんな情け深い母が
わたしは大好きだ
そしてやっと
旅レポへ続く   笑っ
今日も最高の一日だった
今日の日にありがとう❣️

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