こんばんはぁ
明日は明日の風が吹くぅの
水先案内人shineです✨
花言葉診断やってみました
悲しき思い出かぁ
今日は何日だっけ❓
11月12日
そうだった
私の大好きな伯母の命日だった
確か大正15年生まれだから
生きてたら
96歳になってたな
おっ
今一緒に暮らしてる舅と一緒だ
ここから先は
波瀾万丈だった伯母との
備忘録として綴っていきます
私の両親は共働きだった
それも時間が不規則な仕事だったから
近くに住んでた伯母のところに
学校帰りによく行っていた
中学校の目の前のアパートに
一人で住んでたから
いつでもすぐ行けた
とても頭が良くて
謙虚で
優しくて
なんでも知っていて
でも…
旦那さんを早くに亡くして
それも納得できない亡くなりかたで
婚家を出されて
三人のやんちゃ坊主を引き取って
実家のある盛岡に帰ってきた
実家のお父さん(私の祖父)は
それを許すことができず
伯母は
一人で頑張った
でもお友達とか
私の母やもう一人の叔母が手伝って
やっと平和で幸せな
時を過ごせるようになった
そんな時
伯母を
乳がんが襲った
どのくらい患ったかなぁ
結局伯母は
52歳の若さで
この世を去った
通夜の夜
母が
台所の床を
涙を流しながら
拭いていたのを
思い出す
そして
みんなで伯母を偲んで
お酒を交わして
横になってた父の目から
涙が流れていたのを
忘れることができない
あの気丈な父の涙を見たのは
後にも先にも
あの時と
私の結婚式の時の2回だけだった
あー
後一回
父が亡くなる日に
父の目から
黄色い涙が
流れていた
(肝臓がんで黄疸になったいた)
伯母の人生って…
幸せだったのかなぁって
思うことがある
厳しい父親の元
8人兄妹の長女として生まれて
早くに舅、姑の居る所に嫁ぎ
29歳で旦那さんを亡くし
実父に再婚を許されず
3人の男の子を育てた…
そんな人生だったけど
少なくとも
盛岡に帰ったきて
友人や姉妹のそばにいた時は
幸せだったんじゃないかなって
勝手に思ったりもする
今伯母に会ったら
なんていうんだろうな
きっと
「私はずっと幸せだった」
って
言うのかもしれないな
人の人生は
その人じゃなきゃ
分からないことなんだもんね
今ある幸せを
見つめようっと
今日も最高の一日だった
今日の日にありがとう✨