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親というそれぞれの形

こんばんはぁ
明日は明日の風が吹くぅの水先案内人shineです✨
私はとても自由に育ったように思う
あー笑い泣き
 
そうでもなかったあせる
かな•••
両親は共働きだったから
学校から帰っても誰もいない
俗に言う〝鍵っ子〟だった
なもんだから
帰ってきてから
ランドセルを玄関に置いて
いろんなところに行って
外で遊んでいた
周りは田んぼや畑が多かったし
側には大きな川もあったし
その河川敷で遊んだりしていた
テトラポットを飛び越えたり
浅瀬で遊んだり
今じゃ考えられないけど
川で遊ぶなんて
危険だったよなぁ〜
どこで誰と遊ぼうが
それは自由だった
ただ一つ
時間だけは厳しかった
遊び呆けて
暗くなってから帰ると
父が玄関に鍵を閉めて
中に入れてくれなかった
あー、それは当たり前か
と言うことは
やっぱり私は
割と自由だった
中学になっても
高校になっても
ああしろこうしろ
と言われたことがない
ただやっぱり時間にだけは厳しくて
社会人の時の門限は
夜10時だったあせる
これはまず守れなかったなぁ
飲みに行ったら
10時はこれから盛り上がる時間だ爆笑
子供達が結婚して
それぞれの配偶者の親の姿が見える
それは
その家族が辿ってきた
親子の関わりでもある
私自身は
親子といえども別人生
と思っているから
自分の人生に子供の人生を
組み込んではいない
でもそれは
もしかしたら
本音ではないかもしれない
子供達は子供達で
自由に生きていけば良いと
思ってるけど
本音は
側にいて欲しいって
思ってるてへぺろ
でもコントロールはしてないつもり
あー笑い泣き
 
してたかもしれない
息子が就職する時
どこで何をやっても構わないよ
帰ってこなくても良いし
と言いながら
地元の採用要項を渡してた 笑っ
娘に誰と結婚しても
どんな仕事についても良いよ
と言いながら
これこれこの仕事が良いらしいと
吹き込んでいたてへぺろ
結果
その通りになってしまった
これは
コントロールというのだろうか口笛
やはり
親というのは
死ぬまで子供を心配する生き物
自分が辿ってきた人生を省みて
色々アドバイスをしちゃうのだろう
転ばぬように
泣かぬように…と
そうだ
コントロールではなく
アドバイスだ照れ
やりたい事を抑えられると
いつか爆発する
やりたい事をやりたい時にやらせる
もしかしたらそれで
傷つくことがあるかも知れないけど
それはそれで
その子に必要だった事
だから自由に伸び伸びと育って欲しいと
孫を見て思う
アルツハイマーになると
今まで自分が抑えてた
感情や行動が出るという
確かにそうだと母を見て思った
父が亡くなって22年もの間
自由にお金を使い
行きたいところに行き
会いたい人に会ってた母
いつでもしゃんとして
綺麗づきでしっかりしてた母
泣き言なんて言ったこともないし
泣いた姿はあまり見たことがない
アルツハイマーになった母は
本当に穏やかで
徘徊することもなく
大きな声を上げることもなく
介護士さん達から愛されていた
でも寂しかったんだろうなぁ
よく泣いてたなぁえーん
アルツハイマーにはなりたくないけど
そんな穏やかな老後を送りたい
私が両親に尊敬を抱いて感謝してるように
そんな風に思われる親でありたいなぁ
あー
これコントロールしちゃうだろうか
知らず知らずにそう思うようにしたりして 笑っ
親というそれぞれの形を
考えた一日だった
今日も最高の一日だった
今日の日にありがとう✨
※ 今はハーフバースデイというのがあるらしい爆笑
 
地球に誕生して半年を迎えた
ひかりちゃんのハーフバースデイが
親になって半年の
新米パパとママによって
9月12日に執り行われた
これもまた
子を想う親の形
 
 
 

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